フリーター就職事情の今後
近年の景気の回復による事業拡大等により、企業は再び新規社員を積極的に採用するようになりました。それに伴い、フリーター数も減少してきています。
ニートやフリーターを減らすために日本政府は幾つかの政策を打ち出しており、その結果は少しずつ出ています。
フリーターやニートのうち、意に反してその道を選ぶという人は少なくなっています。
大学や高校を出たばかりの者が仕事を見つける割合も、労働人口も増えています。
就職率、就職人口数のいずれも、1980年代後半のバブル好調期くらいまで戻っています。
フリーター人口は、経済状況が変わらなければ減少の一途でいけるのでしょうか。
1980年代と現代の新卒者の考え方はかなり違うため、経済情勢が変わったからといって即時にフリーター数も好転するという見方はできません。
フリーターという道を選んだ若者たちの動機には、正社員としての雇用先が見つからなかったというものの他に、仕事の他にやりたいことがある、というものがあります。
現代の若者は景気回復や政府対策によって、就職出来る環境が整っているのにも関わらず、
自ら希望してフリーターを選んでいる人が非常に多いのがフリーターの就職事情です。
バブルがはじけたばかりの時代は、他に選択肢がなくフリーターとなった人たちがいました。
団塊世代の勤労意欲旺盛な人たちや、就職が難しく頑張って職に就いたという人たちからすれば、それが可能なのに正社員につかない現代のフリーターが不思議に見えるかもしれません。
これ迄のフリーターと就職事情
1980年代後半はフリーターという単語が一般的になった頃です。
この頃、日本経済は上昇気流に乗っていました。経済の好調に煽られて雇用が増大していた時期であり、建設ラッシュやコンビニの急増により、これらの仕事につける非正規雇用の労働力がいくらあっても足りないくらいでした。
就職先には困らなかったために、生活の安定より自己実現を優先してアルバイト生活を送っても、問題なく生計を立てることが可能だったのです。
経済が低調に転じると、雇用全体の量が減ったことによって正社員の門は狭くなり、低い給与で雇えるアルバイトが積極的に労働力として用いられるようになりました。
たくさんの企業が正社員の新規採用を大幅に減らした為、就職活動をしていた多くの若者が就職出来ないといった現象が起きました。
アルバイトやパートの仕事についてはいるものの、本来的には正規の雇用を希望するという人は大勢いるようです。
1991年に厚生労働省が行った調査の中では、国内には約60万人余のフリーターがいました。
バブル期以降、フリーターは急増し2003年には217万人に達すまでになりました。
フリーターの総人口が急増した事は、企業側の要因が大きな影響を及ぼしています。
景気の悪化によって経営が苦しくなった企業は、正規の雇用人数を減らしてアルバイトやパートを多く採用しようとする傾向があります。
また、新卒の採用にこだわらず、正社員を採用するに当たって即戦力になる経験者を求める企業も増えました。
正社員を希望して熱心に就職活動を続けていても、経済活動の低下に伴い採用の動きが変化したことによって、正規雇用につくことが困難になっています。
フリーターと就職
比較的新しい言葉にフリーターがあります。
国内では、正規雇用でない仕事のつきかたをフリーターと呼んでいます。
生活の手段として、パートの仕事やアルバイトをしている人たちを指します。
どのようなスタイルの職についているかを表しており、職種とは無関係です。
フリーアルバイターという言葉も同じ意味で使います。
年は15歳以上35未満、女性は未婚者であり、そして就職、在学していない者をフリーターと定義した上で、1991年に厚生労働省が実質調査を行っています。
この定義は現在も参考にされています。
何らかの仕事ついていても、正社員としての雇用ではなくパートタイマーやアルバイトとして働いている人が対象になっているのです。
現在、無就業の者については、家事も通学もしておらず、就職では無くアルバイトやパート、派遣といった就業形態での仕事を希望する者の事を指します。
最初にフリーターという単語ができたのはアルバイト情報誌でした。
1997年に作られたこの言葉は広く使われるようになり、広辞苑にも載っています。
日本で作られた単語なので、英語にはフリーターという言葉はありません。
フリーランスとアルバイターを組み合わせた和製英独語です。
パーマネントパートタイマーという言葉がフリーターに最も近い意味合いを持ちます。
正規の仕事につかず、アルバイトによって日々の生活費を稼ぎながら音楽家や役者などの夢の実現に打ち込むという若者層は、バブル経済の頃は多く存在していたようです。
フリーターという言葉は、元々は自己実現のためにあえて正規の職につかずに努力を続ける青年を応援する意図もこめて、これまでのプータローといった言葉と区別するために作られたものです。